練習場

練習場の変遷
 野球部の練習場は、発足当時(1915年)は柏木(現在の大久保駅付近)、1917年には千代田区神田橋、1919年からは中野区(新井薬師駅付近)、1939年3月、現在の練習場である神奈川県川崎市木月に移りました。このとき、軍需工場の寮を借り受け、合宿所としました。翌年、ネット裏近くに約40名収容の二階建木造の合宿所を新築しました。
 戦時中に、グラウンドは米軍に接収され、合宿所も空襲で焼けました。戦後の1948年にグラウンドは返還され、グランド横の旧弓道場を改装し合宿所としました。
 1953年、合宿所はグラウンドから少し離れ、現在に至ります。

 




法政大学川崎総合グラウンド
 
 川崎総合グラウンドの入口です。入ってすぐ左に野球場があります。合宿所からは徒歩2分の近さです。  グラウンドは法政大学保健体育部に管理されています。グラウンドキーパーの皆さんが日頃整備をしてくださっています。
 総合グラウンドには野球場(大・小)の他に陸上競技場、サッカー場、ホッケー場、ハンドボール場、体操場、相撲場、弓道場、柔道場があり、大学やニ高の各部が毎日の練習や試合に使用しています。多くの学生が活動しているため、活気に溢れています。


野球場
 毎日、練習に励むグラウンドです。春、秋のオープン戦もこのグラウンドで行なわれます。グラウンドのバックネット裏には、放送室、観客席、野球部室があります。放送室とバックネットは平成8年12月に建てられました。その後、平成10年9月、観客席、野球部室、倉庫が完成しました。平成14年8月にバックスクリーンが改築され、さらに、平成20年3月には全面人工芝になりより充実した練習を行なうことができるようになりました。

     
 観客席からみた野球場(大)
道路を隔てて法政大学二中・高と隣接しています。
  投球練習場
横にもう1つブルペンがあります。
  電光掲示板
BSO対応のLED式電工掲示板はオープン戦や紅白戦時に使用します。
     
 放送室
オープン戦の時は、マネージャーがアナウンスをします。
  バックネット裏には、放送室と観客席があります。   観客席
約150の席があります。オープン戦をここで観戦することができます。オープン戦の時にはファンの方などでいっぱいになります。



室内練習場
 
打撃練習場   ウエイトトレーニング場
 室内練習場は、平成8年に川崎総合グラウンドと法政二中・高の間を通る川崎12号線道路拡幅に伴い、元ハンドボールコートに建設されました。
 雨天の際の練習や打撃練習、ウエイトトレーニングで利用します。また、授業後などの夜間にもウエイトトレーニング等の練習に励む部員の姿が見られます。


 
法政大学川崎総合グラウンドアクセス
JR南武線、東急東横線・目黒線 武蔵小杉駅下車 徒歩約10分